「沈黙は金なり」
この箴言にすべてがある。無論、この言葉の本来の功利的な意味ではなく、在り方の問題としてである。
もし自我、もしくはエゴを完全になくそうと努めれば、それ即ち完全なる沈黙である。
言葉、もっと言えば「表現」というのは、自分が前提となる。それを世界に主張するということ、これは結局は自己愛であり、自己顕示欲であり、不純である。
自己という不純物を、この世界に放り出すことに賛成の人間は、この考えが理解できるはずである。
反対に、この世界を自分あってのものだと思える人間は、この理屈を理解するどころか、想像もできないことだろう。
そういう世界に自分は生きているのである。