酔うということについて
ボードレールかな?この世で生きていくためにはなにかに酔わなければならぬ、と言ったのは。
現代風でいう「ストレス発散」ということだ。この世の中を正気で生きていくことは不可能である。人間の認識は悲劇である。
私はなにかに酔うことがない風に思ってきた。しかし最近思うのは、アニメを一気見しているときは何もかも忘れられるのである。酔っているとはまさにこのことなのではないか。
形而上的な思考は常に流転する。そのとらえどころのなさが諸行無常と言わしめたものなのだろうか。それこそが、存在の悲劇というものなのだろうか。
すべての思考は一つに収斂するのだろうか。最近の関心は「美」についてである。漱石が藤村について「彼は美のために死んだのだ」と言ったことは深い深い思考の余地があるように思える。歴史とはまさに美の形態変化のことなのではないか?