旅(人生)は恥の掻き捨て

人生なんて所詮一瞬の旅。どれだけ恥を掻こうが足るに足らないものだ。

自殺 尊死は冗談ではない

「尊すぎて死ぬ」

 

というのは、なにかしらの作品、創作物、あるいはただ単にテレビや現実の一コマを切り取った中に尊さを見出したときの感想である。その多くは恋愛を象徴する関係性や、その人物そのものに対して向けられるものだ。

 

これは冗談ではない。尊すぎて死ぬことは、永遠性の渇望と不実の絶望がもたらした結果なのである。

 

基本的な姿勢としてはウェルテルのそれと変わらない。自分がその対象に対して全くかかわる余地のない存在である、という深い絶望は、その対象への憧れが強ければ強いほど、また絶対に聞き届けられない望みであるという確信しかもたらさない。

 

それが創作物の中であればなおさらなのである。それは確かに誰かによって生み出されたものに過ぎないが、しかしそれはある人にとっては時に切実に、現実以上に実存的な意味を帯びることがある。そうなったとき、むしろこの物理的な世界こそが虚構のように思えるわけだが、自分はまさにその虚構の住人であり、そこから逃れることは不可能なのである。

 

こうなると、自らの運命を呪って死ぬことは、なにも不思議ではない。むしろ、現実の不実の恋愛などが動機となりえるのならば、端から結実の望みのない創作物への愛などは、死以外によってどう表現すればいいのだろうか?

この世界におけるあらゆる事象は、突き詰めれば突き詰めるだけ、相反する要素が裏表になったような、一つの真実を突き詰めると、実はその全く対極にあるものを同時に肯定するような、そんな在り方をしているのではないだろうか、と思った。

 

例えば、存在の有無。我々を取り巻くこの世界そのものが、果たして存在するかという点については、哲学においても盛んに取り上げられてきた。ライプニッツ「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」というのは解決できない問である。

 

この問いに対するカントの4つのアンチノミーは、純粋理性の限界であるとともに、この世界の実相ではないのだろうか。世界が有限/無限である、この世界を構成する要素は単純/複雑である、などなど、突き詰めてもどちらかに天秤が傾くものではない。

私たちの日常性、取り巻く環境もご多分に漏れることはないように私には思える。例えば、この世には「愛」を追い求め、それを普遍のテーマとして扱う人が多い。しかし、結果として「愛」にある形を与えるということは、同時にその限界を露呈している。その「愛」が、時間的な標準の中にしか存在しないことは、その儚さを物語っている。愛が存在するとして、人にそれが扱える代物であるなら、果たして浮気などという名目で他人を非難することができるだろうか。逆に言えば、真の愛というものがあったとして、それがある一つに注がれるか否かということを決定する権利をだれが持っていようか。つまり、世に誠実な愛などと言われるものはすべて、妥協と諦念からくる産物に過ぎない。ここから、最も高尚に見えるものが、同時になんの価値もないようにも見える。

 

なにか一つのことを志向するという行為は、永遠性を全く度外視する思考の放棄なのである。思考しながら行動することは不可能であるから、行動するという行為は思考停止状態なのである。ここでいう思考はもちろん理性のことではなく、その内容のことである。

しかし皮肉なのは、真なるものが、少なくともそう思える心的状態に至る道はなんとその志向するという行為、一意専心によってしか得られないようにおもえるということである。思考は、常にその真なるものを、理性の力によってチート的に手に入れようとする。だから常に失敗する。

ここにおいても、表裏一体の世界が見て取れる。世界を知ろうとしない行為の先に世界が存在し、世界を認識しようとする試みは永遠に失敗する。

なぜなのだろうか。およそ合理的なものとは思えないのがこの世界の実相である。

 

 

 

 

 

 

 

起きれない

朝起きたら午後の5時!もうこの一日は取り戻せない。。。

 

大学生の時は「やりたいこと、大学生のうちにしかできないことをやりなさい」みたいに言われるので、有言実行。

 

まずやりたいこと、一日中寝ていたい。宝くじ当たったら明日のことなんか気にせず寝るだけ寝たい。

今しかできないこと、平日なのに寝ていられる。仕事あったらふつう無理やし、できたとしても週数日だけ。

 

あーもう最高。そう考えると、人生のピークを迎えていることは間違いない。

無料か安価でできる価値のあること 節約

節約は大事。お金なくなるからねすぐ。

無料、もしくは安価でできることがたくさんある。その有難みを十分享受して生活すれば、「これだけで十分なのに」(某アーティスト)な生活ができるはず!

 

・音楽を聴くこと

  まじでこれ、ほぼ無料。ようつべとアマゾンプライムで聞ける奴だけで十分。昔は何かとお金がかかったのを思えば、現代のエンタメの無料化は素直に喜ぼう。ただ、再生機に関してはやはりこだわる価値がある。アンプとスピーカーはおしゃれだからね。しかし少なくともソフト面でお金がかからないのだから、もっと楽しむべきだ。

 

・納豆、割引されたパック野菜、100gくらいの豚肉

  食べ物に関してはこれで十分である。野菜なんて1パック意外とあるし、肉はただ焼いて塩かければなんでもうまい。カップ麺より健康的だしこれでしょ。

 

・古本

  安い安すぎる。新品はあんな高いのに、古い本はたたき売り。これも音楽と一緒で、昔の大学生は本代でかつかつだったのに比べれば、なんとなんでも手に入る時代になったことか。別に読まんくても、インテリアとしても安い。こじゃれた置物なんか買うより、いかめしい古本を100円くらいで10冊かってあたかも読んでます風に置いとけばおっけ!(誰が見るん)ちなわたしはドストエフスキーの文庫がたくさんあったり、マルクス資本論(ハードカバー)全巻あったりするけど読んでないよ。

 

・掃除

  煮詰まった時の定番、掃除。無料でできるのに気持ちいい!

 

・散歩、深夜徘徊

  後者に関しては「ナイトウォーク」とかいうかっこいい名前もあるけどやってることはただの散歩、そして夜になるともはや徘徊ですね。深夜徘徊はめっちゃおすすめ。どうせ夜型なんだから、夜に活動したっていいじゃない。誰もいないシーンとした世界はなんと居心地のいいことか!

 

・お金を数える

   少なくてもなんかうれしい。ただちょっと空しい。

 

・競馬

  研究して勝てるようになれば、実質タダだね!無謀に突っ込むと節約どころかただの寄付になるので注意。上級者向け。

 

・ネット

  情報も本来は金がかかるものなのだから、ありがたい。ただ、無料の範囲ではごみみたいな価値しかないかただの広告がほとんどなので、いかに有料級の情報を無料の範囲でゲットするかのゲーム。個人的にはニュースとかの報道系は無料だと大したことがわからないから、なにかいいソースがないか気になっている。

 

・ソシャゲ(10分だけ)

  ソシャゲは無料でできる範囲で楽しめればコスパがいいと思う。商法が「無料だけど優良級の楽しさ>無課金の限界がくる>課金沼」なので、最初は有料級の楽しみがある。毎日その部分だけ突っついて、無課金の限界を知らなければいつまでも有料級の楽しみが待っている。最悪、無料配布ガチャだけを楽しむ運試しにも使える。

 

 

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以下、無料だけどやらないほうがいいこと

ネトゲ

  コミュニティがあったり、趣味として楽しめる人はいいと思う。しかしこれをストレス発散としてやると、最初は熱中して時間を消費した挙句、むなしくなってやめるという最高にゴミみたいな時間となる。節度が大事

 

・ソシャゲ(ガチ)

  無料には限界がある。その淵に立って、覗き込んではいけない・・・