旅(人生)は恥の掻き捨て

人生なんて所詮一瞬の旅。どれだけ恥を掻こうが足るに足らないものだ。

やる気が出ないときに考えたこと。やる気をだすのは絶対にムリ。あきらめよう。もうだめだこの人生。

やる気が出ないやる気が出ないやる気が出ない

 

ということで、「やる気を出す方法!どうしてもやる気が出ないときに試す5つのこと!」みたいな記事をいくつか見るんだけど、結局そういうのは役に立たないのよね。

 

というのも、それらはどれもモチベをどう沸かすか、もしくは保つかという方法なのであって、最初の一歩はどうあがいても踏み出せない。そういう慢性的なモチベーション欠乏症に陥ったダメ人間(自分)はさてどうすればいいか。

結論から言うと、どうしようもない、そんな気がする。事実私は一か月くらいやるべきことをすべて放置している。そして先延ばしにした分だけ将来的な負債が大きくなることをいざやり始めたら直視しないといけないので、直視できなくて放置、ますますやるべきことが増えるという最悪の悪循環を起こしている。

 

しかし少なくとも自分について考察する元気だけは若干わいてきたので、モチベ欠乏時の分析といこう。

① まず第一に、「なにもしていない、わけじゃない」ということ。「何もする気が起きない」というのは実際には「何も(自分のしたくないことを)する気が起きない」というだけで、なにかしちゃってんだよね。逆に、椅子に座って目をつむってふぅと一息つくのが何分続くかってことよ。なにもしてないせいで心が焦っているときほど長くはもたないはず。なんかそわそわしてスマホ見たり掃除したり持ち物の整理したりする。

これを踏まえて、とりあえず軽い音楽でもかけて、椅子に腰かける「だけ」というのをしてみる。そうすると、やる気は起きないけど、すこし気が落ち着く。すこし気が落ち着いたので有馬記念について考えた、そして負けた。

②そんでもって、モチベに関する気分というのは、「やる気がある」と「やる気がない」という二つではないということ。やる気がない状態が0だから、1でもやれば少しづつやる気がわいてくるとかいう理解が一般的な気がする。が、実際には違う。実際には、だらだらしたり先延ばしにしているときには常にマイナスをたたき出しているということ。そして少し上向きのプラスが出ても、マイナス分にすぐ吸収されてしまい勢いが出ないということ。

以上の考察を踏まえて私が思うのは、こういうときに「やる気を出そうとする」戦術は負け戦なので、少しでも勝てる見込みがある戦いとして、「マイナスをなんとか消化して0に近づける」という戦法が有効なのではないか、と考えた。いろいろ考えてソワソワしてマイナス方面に猛進するという悪弊を、椅子に座って落ち着いて虚空を眺めることによって、なんとかマイナスをなくそうという虫のいい試みである。

投資でいえば、マイナス5万出ているときにプラス1万の勝負を考えるよりも、そのマイナス5万をうまくいけば帳消しにできる(現実にはそんなのないけど)方法を模索したほうが賢いのではないか、ということだ。

この戦法の欠点は、どんなに頑張ってマイナスをなくしても、決してプラスにはいかないこと。それはそうだ、やる気も重力には勝てないので、ちょっと上がってもすぐ下がる。本当に困ったものである。世の中にはやる気をプラスにキープし続けることができるマッチョな人間がたくさんいるが、残念ながら私はその一人ではない。

だからこの方法を試しても結局やるべきことは片付かないのだ。これはも生まれつきの病気みたいなもんだろうと思う。だからといって死ぬ勇気もないために、なんとか地べたを這って生活するしかないのだ、あきらめようこの人生。絶対私向いてない。野生のたんぽぽとか、そういう生き方のほうが向いてるわ。

 

そう考えると、なぜ受験勉強にあんなに集中できたのかわからん。でもあれは結局周りとの競争という巨大なゲームの中にいたから、無理やりにでも楽しむことができたような気がする。これは自分のやるべきことなんだと思い込めれば、あとはやっていれば自動的に合格点まで上がっていく素晴らしいシステムだなあと今振り返って思う。しかし今は、やるべきこと、というのが自分の選択の先にある。そもそもその使命を発した自分自身を全く敬っていないせいもあって、自分の為になにかするほど、自分に価値があるとは思えない。だから自分を騙すにも、その騙した先にあるゴールが自分で設定したものである以上、いまいちプレミア感がない。「自分でゴールを決めて、それをクリアしたら具体的なご褒美を考える」系のモチベ啓発してくる人間多いけど、それができてたら苦労しないわぼけ。もう一人の自分を想定して、客観的に判断してくれるほど私の自我は強くないんじゃ。と思うのでやっぱりどう頑張ってもやる気を出して人生に向き合うのはできそうにない。

とかいうと「そういう人生でもいいじゃん」みたいな、上から目線で「マイペースに生きればいいのですよ」みたいなアドバイスする聖人面したやつが湧いてくる。いちいちうっさいんじゃボケナス。てめーのマイペースは世間の標準かもしれないがな、こっちのマイペースは下手したらニートなんじゃ。だから精神すり減らして毎日人間と関わっとるんじゃないけ。みんなそれぞれでいいみたいな気持ち悪い相対主義に悦に浸ってなんやかんや上から目線で行ってくる奴ほど、自分基準でなんでも考えてやがる。

 

そういうわけで、全方位にまきびしを散らして日々必要のない理論武装をしている今日この頃。結局すべてが気に食わないんですね。自分も他人もこの世界も。